海の底から

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汚れなき悪戯

 古い映画をTVで観ました。

 『汚れなき悪戯』 1955年製作 スペイン映画

 臨床心理学者の河合隼雄さんが、この映画のことをちょこっと書いていて、それで気になって、観たいと思ってたのです。

【あらすじ】

 12人の修道士たちは、修道院の前に捨てられていた赤ん坊を引き取り、大事に育てました。
 マルセリーノと名づけられた男の子は、腕白ないたずらっ子に成長しました。
 父親代わりの修道士らに可愛がられてはいますが、マルセリーノは時々母親が恋しくてたまらなくなるのでした。
 
 
 ある日マルセリーノは、屋根裏部屋で、キリスト像を見つけました。
 巨人に食われてしまうから入ってはいけないと、修道士にきつく止められていたのですが、マルセリーノは怖いもの見たさで、侵入したのでした。
 5歳の子どもには、キリスト像が生きた巨人に思えました。
 マルセリーノは、やせ細ったキリストを哀れんで、パンを盗んで持って行きました。

 すると奇跡が起こり、像が動いて十字架から降り、パンを食べたのです。
 それ以来、マルセリーノは食べ物を盗んだり、自分の食事を取っておいて、こっそりキリストに与えるようになりました。

 善良な修道士たちは、子どもが食べ物を盗むのを憂い、原因を突き止めようと、彼の行動を盗み見ることにしました。
 そんなことは知らないマルセリーノは、お礼をしたいというキリストに、「お母さんに会いたい」と願います。
 神は願いを叶え、マルセリーノは天国に召されました。
 キリスト像の横で眠るように死んだマルセリーノを、修道士たちは丁重に葬り、彼のことをいつまでも語り伝えました。


【感想】

 子役の子が実によかったです。
 顔を洗うのを面倒くさがって、濡らした指先でこするだけとか、言いつけを忘れてダーッと駆け出してしまうところとか、聞かん気な子どもらしさが随所にあって、撮影現場はさぞにぎやかで楽しかったことでしょう。
 元気な子どもを見てるだけで、元気になれます。

 だからマルセリーノが死んでしまうところはショックでした。
 といっても、死なないでほしかったとか、いちゃもんつける気は全然ありません。
 むしろその逆。 『マッチ売りの少女』や『フランダースの犬』のように、死が救いとなっています。
 美しい死に方がうらやましくってしょうがないと思ったのです。

 最近、いかに生きるかより、いかに死ぬかについて考えてるので、よい思考材料になります。
 人は死ぬようにできてるんだなぁと、つくづく実感することが多いので。
 死ぬ前日まで自分の足で歩けて、眠るように逝けたらいいな…というイメージだけはあるんですが、人生思い通りになりませんしね。 ま、空想だけはタダですから。
 それにしても、動き出したキリスト像の手が、精悍でありながら誠実そうでやさしげな細い指で、なでてほしくなりました。

 ちなみに河合さんは、
『この映画を見て、すぐ思ったのは、この修道院において「キリストが飢えている」ということであった』
『大人の考える悪ということを子どもがしたとき、その悪は大人の常識を超える高貴さを潜在させていることがあるのを忘れてはならない』

(『子どもと悪 今ここにいる子ども』 河合隼雄 著 岩波書店 より)
 と書いていました。
 キリストが飢えている、か。 なるほど。
 この映画の監督さんは、キリストを救いたかったのかもしれないと、今ふと思いました。
 そのために、もっとも純真な生き物を、キリストと出会わせたのかもしれませんね。
 
  1. 2015/04/05(日) 22:00:16|
  2. 日記
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